引用集

古書あんふぃにTOPへもどる


 血と土と情念から作られた混沌の偶像を崇拝する今世紀にあって、彼はつねに思考の明晰な快楽と秩序の秘密の冒険を求めた。

         − ボルヘス  「異端審問」 象徴としてのヴァレリー
                             
 (中村健二訳 1982 晶文社)




 明晰な頭脳は、自ら理解し得ないものを他人に理解させる。

 知性を伴わない直覚は、アクシデントでしかない。

 僕にとって困難なものは、僕にとって常に新しい。


           − ヴァレリー  「文学論」 堀口大學訳 1989 角川文庫)

 *本書は、70年代には角川文庫目録に載っていた記憶があるがその後絶版。リクエスト復刊と銘打ち金色のカバーで刊行された。アフォリズム集で、気軽にヴァレリーに触れることができるが、これも絶版。ぜひ、ちくま学芸文庫で「ヴァリエテ」を出し、彼の批評を手軽に読めるようにしてほしい。過去、何度かヴァレリー全集を刊行してきた良心的出版社に期待しています。




  「自分のために...いや、とくに自分に反對して自分の力を保存し集中することの代りに、敵に反對してみづから消耗するのは弱さである。」
 このヴァレリイの短い言葉にはポレミストといふ題がついてゐるが、意のあるところ、かならずしも論争にはかぎるまい。一般に、仕事はそれを成就する人間に反對してできあがるものである。

 目的無きに等しい努力のみがよく仕事を成就し、またそれを抛棄する。

 持続のないところに仕事ができあがるということはない。


            − 石川淳 「夷斎筆談」 仕事について (1988 冨山房百科文庫)




 私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する。

        − ウィトゲンシュタイン 『ウィトゲンシュタイン・セレクション』 論理哲学論考 
                          (黒田亘 編 2000 平凡社ライブラリー)





 あとには不可解な岩が残った。言い伝えは不可解なものを解き明かそうとつとめるだろう。だが真理をおびて始まるものは、しょせんは不可解なものとして終わらなくてはならないのだ。
          − カフカ 「カフカ短編集」 プロメテウス (池内紀 編訳 1988 岩波文庫)




 あの超人的な純潔、あの苦行精神、あらゆる女たちを蒼ざめさせる、切られた花のあの野生美 ― それが、ぼくのために、六月の夜、田舎の花咲く並木道の映画のように、沸き立つ大通りの、稲光のようにすばやく飛びめぐる影たちのさなかそこここに不可思議にも舞い落ちて来る、火の言葉。そしてぼくに、生まれながらの運命のまま首斬られた幾たりかの忘れられぬ顔をさししめし、恐怖の果て恍惚とさせずにはおかぬ、火の言葉だ。

          − ジュリアン・グラック 「大いなる自由」 ロベスピエール
                                            
(天沢退二郎訳 1975 思潮社)




 直ちに仕事に着手すること。たとえ拙劣な仕事でも、夢想よりはましだ。

               − ボードレール   




 未来は、それを造り出すことによって予見することができる。

               − アラン・ケイ




 この地上にはなすべきことがあまりにも多い。急げ!

               − ベートーベン




 知識は経験の娘である。

               − レオナルド・ダ・ヴィンチ




 強靱な精神を持つ人間は、自分が今どこにいるのか、何が起きてしまったのか、まさに何が取り返しのつかないことなのかを自分で考えて、そこから未来に向かって出発するような人だと、ぼくは考える。

 過去を見つめることから生まれるあの悲しみは何の役にも立たない。それどころか、きわめて有害なものだ。なぜなら、それは無益な反省を求め、無益な探求を強いるからである。スピノザは、後悔することはあやまちをくりかえすことだと言っている。

               − アラン「幸福論」 絶望について (神谷幹夫訳 1998 岩波文庫)




 ぼくの知るかぎりでは、たしかな足どりで出発した野心家はだれでも、目的を達成している、それもぼくの予想よりも早く達成している。彼らはたしかに、有益なことはすぐに行動に移したし、ためになると判断した人たちとは定期的に必ず会っていたし、また心地いいだけのあのむだなことは疎んじていた。

 われわれの社会は、求めようとしない者には何ひとつ与えない。辛抱強く、途中で放棄しないで求めようとしない者には、とぼくは言いたい。そういう社会のあり方は正しいものだ。

               − アラン「幸福論」 人はみな、己が欲するものを得る 
                                              (神谷幹夫訳 1998 岩波文庫)




きみなしでも私は生きられただろう
ひとりで生きること

話す
ひとりで生きられる
きみなしで
誰れが

すべてに抗がい
おのれに抗がい

夜は更けた

水晶のように
私は夜に融ける。


     − エリュアール 「自由な手」 独り遊び (瀧口修造訳 1973 ジイキュウ出版社)

  *2004年10月10日、マン・レイ展で「自由な手」を見、その挿詩を読み返した。




私は私の世界である。

     − ウィトゲンシュタイン 『ウィトゲンシュタイン・セレクション』 論理哲学論考 
                          (黒田亘 編 2000 平凡社ライブラリー)





思考という機能はつねにあるものを乗り越えることにある。


通常の意味における宗教は、予感とか、落胆とか、漠然とした希望とか、とにかく思考の遊戯に自己をゆだねることにほかならない。思考とは、注意力によって、これらすべてを否認することであるが、ひとはこのことを十分に考えない。恐怖や希望にたいして、つねに意思の反撃を加えるべきなのだ。よい農夫はアザミにたいして泣きごとは言わない。それを刈り取るのである。

     − アラン「プロポ」 猟師とその犬 (山崎庸一郎訳 2000 みすず書房)




開墾である。ぼくは木の幹一本、枝一本が切られるのを見るだけで胸が痛む繊細な女性を知っているが、木こりがいなければ、藪や蛇や沼や熱病や餓えがすぐにまた現れるであろう。同じようにして、人はおのおの自分の気分を開墾する必要がある。自分の気分を否定すること、それはまさにものごとを軽々しく信じないことである。この世界は鉈鎌と斧によって開かれている、夢や幻を追い払ってできた並木道なのだ。

     − アラン「幸福論」 巫女の心  (神谷幹夫訳 1998 岩波文庫)




かつて神は高い地位から宇宙とその価値の秩序を統べ、善と悪とを区別し、ものにはそれぞれひとつの意味を与えていましたが、この地位からいまや神は徐々に立ち去ってゆこうとしていました。ドン・キホーテが自分の家を後にしたのはこのときでしたが、彼にはもう世界を識別することはできませんでした。至高の「審判者」の不在のなかで、世界は突然おそるべき両義性のなかに姿をあらわしました。

     − ミラン・クンデラ「小説の精神」 不評を買ったセルバンテスの遺産
                      (金井裕/浅野敏夫訳 1990 法政大学出版局)
  *この本で、「ドン・キホーテ」を読まなくては、という強迫観念に駆られた。ちくま文庫版で読了。その後、牛島訳の岩波文庫版も刊行されたので、こちらもいつか読みたし。




私は黄金の時を探す。


     − アンドレ・ブルトン
  *ブルトンの墓石に刻まれているという言葉。




私の耳は貝の殻
海の響きをなつかしむ


     − ジャン・コクトー 「カンヌ」




こうした肝心な時に、好みがどうであるかによって人間も世紀もその等級が決まるのである。
     − エウヘーニオ・ドールス「プラド美術館の三時間」 (神吉敬三訳 ちくま学芸文庫)




私は見た  潮風の中へ躍り出る
底知れぬものの形の数々を・・・・


     − ポール・ヴァレリー 「消えうせた葡萄酒」  (安藤元雄訳)




私の自己認識は、その最深部において、暗い、内奥の、表明しがたいものであって、共犯のごとく秘密を保っている。

     − ユルスナール「ハドリアヌス帝の回想」 (多田智満子訳 白水社)




人間が己が魔あるいは己が守護神に身をゆだね、自滅か自己超越かいずれかを命ずる神秘的法則に従う、生涯のあの一時期・・・

     − ユルスナール「ハドリアヌス帝の回想」 (多田智満子訳 白水社)




すべて倫理的行為の美しさは、その表現の美しさによって決定される。

     − ジャン・ジュネ「泥棒日記」 (朝吹三吉訳 新潮社)











                 Copyright 2004 Gallery Infini. 古書あんふぃに    禁無断転載 


△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△